ポール・スプーナーの世界
1.地球環境への憂い
これまでのポール・スプーナーへの日本国内での評価は、せいぜいで優れた“オートマタ職人”といった扱いにすぎませんでした。
ところが近年、彼が単なる“職人”ではないことに気づき始めた人達が増えてきました。
SNSの発展が、彼の才能に光をあて始めたなのかもしれません。
勿論、その現象が起こる前段として、全国各地で行っています展覧会に足を運んでくださった人たちがポール・スプーナーの造形、描画、写真、文章等に触れることで、その才能を肌で感じたことがあります。
オートマタの複雑なメカニズムが生み出す動きや音が、ユーモアやアイロニーに包まれた人間観と混然一体となった不思議な感覚は、現代を生きる私たちには新鮮に映り始めたのです。
環境問題、移民、宗教、イデオロギーなどを起因とし頻発する国際紛争。深刻な人口減少、経済格差の拡大、労働力の海外からの輸入、ジェネレーションギャップ等、暮らしにくくなった日々の生活環境が、皮肉にも「ポール・スプーナー・ワールド」との距離を縮めつつあるのかもしれません。
話題をイギリスのコーンウォール州にある巨大複合環境施設「エデン・プロジェクト(Eden Project)」に移したいと思います。そこはポール・スプーナーと深いかかわりがあり、彼の作品を制作思想を知る手がかりが多く残されているからです。
実は、この施設が設立された当初から彼の作品が各所に多数設置されていて、エントランスには彼の特設コーナーまであるほどですから、その関係性の深さがお分かりになることでしょう。
ここで少々、エデンプロジェクトについて説明をしておきましょう。
この“博物館”は世界各地から約10万種を超える植物を集めています。
しかも、いわゆる植物園とよばれるようなただ植物を並べているわけではなく、テーマとして掲げる「植物と人間の舞台演劇(The Living theater of plants and people)」という言葉を実現した世界に例のないものです。
バイオーム(生物群系)とよばれる世界最大級のドームの中には、生きた生態系そのものが演出されており、高さ50メートル、全長1キロメートルにもおよぶドーム群の中には、滝があり沢があり小さな農地や田んぼまであって、森の中には小動物が生息し、朽ちた木々からはキノコの姿も見ることができます。
「私たちが育つのをどうぞみてください」というキャッチ・コピーを有するこの博物館は、成長する博物館という基本思想を象徴しているようです。
またイングランド東エリアの端にあるコーンウォール半島は、地中海を思わせる温暖な気候と古めかしくも美しい街並みが調和することからか、裕福な英国人の別荘が立ち並ぶリゾート地として有名で、多くの芸術家がこの地にアトリエを構える地でもあります。
エデンプロジェクトは地元の人々と、植物学者、そして芸術家とそのパトロンらの合作なのです。
ロンドンのテートモダンや大観覧車ロンドンアイと比較しても、面白さや将来性、社会的意義においてこの“博物館”がそれらを凌駕しているのかもしれません。
ポール・スプーナー作品は、“ドードー鳥”がモチーフとしてたびたび登場します。
そのドードー鳥は、主に船乗りの保存食として重宝され捕獲された後、塩漬けにされていたようです。
「最後のドードー鳥」という作品は、絶滅直前となった最後の一羽の運命を描いたもの。
最後の一羽であろうとなかろうと、おなかが減った船乗りたちには関係ありません。
「はやく食べさせろー」とばかり、両手には食卓でナイフとフォークを持って待ち構える様子を
面白おかしく描きだしています。
話をエデンプロジェクトに戻します。エントランスには、ポール・スプーナーの“等身大の人形による演劇コーナー”が設置されているとお伝えしました。
そこでは、世界の人口増が原因で食料の需給バランスを求めた結果、環境破壊が進行し、やがて食料の安全性が確保されなくなり、あげくミルクでさえも安全ではなくなるであろう…という寸劇が等身大の人形たちによって演じられています。
そこに登場するネコのもとになっているのがこの「傷んだミルク」という作品です。
愛くるしい表情をみせるネコ。無邪気にミルクをペロペロとなめ続けますが”その時”は唐突にやってくるのです。
唐突さが逆にリアルで、恐怖を身近に感じさせています。
作者の演出と効果が功を奏したといえる作品のひとつでしょう。
下のイラストは作品イメージ・スケッチ。もう一方は、エデンプロジェクト内のエントランス”劇場”ウラでコンプレッサーを使った仕組みを筆者に説明するポール・スプーナー。
3点目は「スパゲティを食べる男」を解説します。
ハンドルを回せば、男がバスタブ満杯になったパスタをフォークで口に運ぶという奇妙ですが、なぜかしら愉快な作品です。
よく見ると2つのジャグジーから、パスタとパスタソースが出るという細かい点が見逃せません。ハンドルが回っている間、永遠にパスタとパスタソースは出続けるというわけですが、現実ではあり得ない話です。
食料資源は有限であることを気づかされるわけですが、この問題を議論する時期が到来してしまったことを描いています。
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2.異国文化の尊重
原題は「愛の寓話(An Allegory of Love)」。
ロンドン・ナショナルギャラリーの「アーニョロ・ブロンヅイーノの絵画」をモチーフにして作られました。
これまでその絵には、様々な解釈がなされてきました。例えば「地上的快楽に溺れる愛に対する警告を表現した反宗教改革時代の道徳的教訓を描いた」もの...が支配的なのですが難解ですね。
ポール・スプーナーは、これに対し次の解釈を用いてこの作品を作りました。
「哲学的解釈をもたらさない、謎に満ちた絵画には意味そのものと描写との間に調和は喪失されており、両者間には激しいねじれがある。故に二重の印象を与える。」
要は、釘を打とうとする人物に対し「釘はねじ曲がって思うようにいかないことが人生であり、むしろ相手が釘だから、この程度(指を痛めた)で済んだのだよ。人間関係でなくて良かった」というユーモアを加えて。
次は「河豚」という作品です。
作者は、この作品を毒がある魚と理解して食べる民族(日本人)を揶揄して制作したわけではありません。むしろ多民族の食文化を見下げる風潮はいかがなものか?と表現しているのです。
イギリス人はニシンの薫製を食べる習慣があります。キッパー(Kipper)とよばれるオレンジがかった毒々しい色をしています。
その毒々しい色の由来は、製造する際のコストをカットするために着色したことに原因があるとされています。
作者はこの作品に次のような添書きを施しています。
「毒があることを知りながら、河豚を食べるという他国の食文化を愚かしいなどと言ってはならない。それは偏見に過ぎないのだから」
先に触れましたが、彼らイギリス人も薫製の着色料に毒性があることを薄々知りながらも食べ続けているわけですから...異国の食文化を否定したり、見下したりする悪しき慣習を窘めているわけですね。
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3.人生の不条理
ポール・スプーナーは「人生の不条理」をテーマにした作品がとても多く、なまじ可愛らしかったり、無邪気に見えたりする分だけ、真相を知ることで印象が深くなるように感じます。
例えば、この「玉の輿(The Mill-Girl and Toff)」という作品は解りやすい例の一つではないでしょうか?
原題は「紡績工場の女工と御曹司」です。時代背景は、産業革命の頃になります。
親父の会社で働く女工に恋した御曹司。
金に飽かせてダイヤモンドでプロポーズをします。
女工は目玉が飛び出るほど驚きます。絵にかいたようなシンデレラストーリー、
つまり玉の輿ですね。
ところが、よく見ると彼らの足元には2つのカムがクルクル回転しているではありませんか。
更につぶさに観察をすると、その2つのカムはなんと棺桶のカタチをしています。
いえ棺桶そのものです。「ははぁーッなるほど。結婚は人生の墓場ということか」と
思われた方は勘の鋭い方ですね。
ところが、ポール・スプーナー・ワールドには、まだその先があったのでした。
その2つ棺桶。更にさらに観察をします。
1つは高級材質マホガニーを使った上物です。王冠までついていますし。
もうひとつは、白木の安物。その裏には念入りなことに「名もなき人」と
書かれているではありませんか。
イギリス階級社会の厳しさを垣間見たような...
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4.言葉あそび
ポール・スプーナーは、言葉遊びを作品に取り入れることがよくあります。
この「クマネコ」とよばれる作品もそのひとつで、実はアナグラムになっています。
原題は「Bearcat」
文字を入れ替えると「Cabaret(キャバレー)」
10年ほど前までロンドン・コベントガーデンにあったオートマタの常設館「キャバレー・メカニカル・シアター」向けに作品を制作(販売)していた作者。
もうおわかりですね。
経営者と作家の関係を、作品モチーフである親子のネコに例えたわけです。
当時の経営者であったスー・ジャクソン女史は、売れっ子作家のポール・スプーナーに作品を多数制作するよう依頼しています。CMT(キャバレー・メカニカル・シアタ)は、会社経営がうまく行っているから、ポールをはじめとするオートマタ作家の生活があると考えていたフシがあります。
ところがポール・スプーナーは、そのことを逆手にとり「現実はその逆。つまり作家がCMTの経営を支えている」というメッセージをこの作品に込めたのです。スー・ジャクソンはそのことを知ってましたけどね。
文字を入れ替えることで、意味が変わる言葉遊びのごとく、両者の不確かな関係性を潜ませたこの作品は、その後CMTのシンボルとなり、私たちを楽しませているのです。