オートマタを語る上で、見るものに与える感情の度合いの深いものと、そうでないものの二つに分けて考える傾向が、少なくとも私個人にはあるります。ポール・スプーナーの作品は、明らかに前者であり、フィギアや機構という”動くモノ”が持つ物質的な側面と同様に、作家が作品に込めたある種の感情に関わる側面を見過してはいけない、それはとてももったいないことだと思うのです。
ただ単にフィギアが動くこと。ただ、それだけでも「あれ面白い」と感じることは自然なことですが、 溜飲を下げたり、どこか安心感や幸福観(感)を感じたり、あるいはその逆に人生の不条理、不安といった部分を感じさせてくれるものを作家とともに大切にしたいという他市かな感情が私にはあるようです。 かつてのオートマタでは、カタチにしにくかったこうした精神性といった部分を、うまく表現できている点がポール・スプーナーの魅力そのものなのだと思うのです。
一方で「それがどうした!」という意見の方々も沢山おられるでしょうが、今述べたような、目に見えない精神性というか心の状態を表現することは、何も努力をせずには生まれないわけですし、もっと言えば努力以前のもの、つまり才能の有無をそこに見る事ができると言えるのかもしれないのです。
さて、ポール・スプーナーの作品で数多く登場するモチーフといえば、ご存知アヌビス。次がネコ。
その次あたりに山羊...たぶん。なぜか羊は登場しない。(例外がひとつだけ。知ってる限りですが) 理由はおそらく聖書と関係しているのですが、そこを将来うまく説明できるようになることが、私に課せられた役目だと感じています。更なる努力を、自身に求めなければいけませんね。